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礒健介の建築展記念インタビュー
さりげなくただ在るように。
愛を込めて設計された建築の話

礒健介

2022年9月17日〜25日、築90年の診療所をリノベーションした複合スペース「nokutica」で、『礒健介の建築展−さりげなくただ在るように』が開かれました。コンセプトは誰でも気軽に立ち寄れる展覧会。展示内容は本物の建築模型がいくつも置かれた本格的なものですが、鑑賞スタイルはコーヒーを片手に眺めるのもOKという親しみやすいもの。
このちょっと変わった展覧会を企画した礒建築設計事務所の代表である礒さんに、展覧会で伝えたかったことをお聞きしました。

コーヒーを飲みながら建築模型を眺められる展覧会を開いた理由

展覧会を開こうと思ったきっかけを聞かせてください。
修行を積んで独立してから約5年が経ち、ある程度自分がやりたい住宅設計ができているという手応えを感じるようになってきました。展覧会を開こうと思ったのは、自分を知らない人にも作品を見てもらえる機会を増やしたいと考えるようになったからです。
建築を知ってもらう上で一番いいのは現地での見学会ですが、住宅には住まわれている人もいますし、全国にある作品を一気に見てもらうことは困難です。そこで、模型や写真をまとめて見てもらいながら、自分の建築を伝えられる場をつくりたいと思ったのです。
展覧会
この場所を選んだ経緯をお聞かせいただけますか?
まず築90年になるnokuticaの雰囲気が好きだったことが大きいです。いつかここで何かしたいという思いはずっとありました。四角い箱のようなギャラリーにはない歴史や時間を感じる場所なので、自分の設計した建築との相性の良さみたいなことも考えていました。道路に面して二坪喫茶アベーコーヒーもありますし、シェアオフィスやコワーキングスペースもあって、普段は建築と関わりがない人も多く出入りする場所です。不意の出会いも期待して、この場所を選びました。初日に来場された方に「nokuticaと作品の雰囲気がピッタリだ」と仰っていただけたのは嬉しかったですね。
展覧会
靴を脱いで上がるようになっているため、コーヒーでも飲みながら家のようにくつろいで見てもらえるのではないかという狙いもありました。
最近では関心があれば、建築の写真はスマホでいくらでも見られます。事務所でもInstagramのアカウントを持っていますが、今回は次から次へと消費するように見られる場とは別に、ゆっくりと眺めてもらえる場にしたかったのです。
写真や模型を見ながらその住まいで暮らすイメージをじっくり思い描いてもらえるよう、椅子やベンチを多めに配置し、長居できる会場構成にしました。フラッと立ち寄った人に「建築って意識していなかったけど、面白いじゃん」と思ってもらえたらいいなという思いで。
建築模型を眺められる展覧会
実際に今日もたくさんの方が来て、ゆっくり過ごされていますね。
会場の方に聞くと、意図した通り、コーヒーを飲みながら眺めている方も多いそうです。期間中は各地から古くからの友人や恩師も立ち寄ってくれました。建築関係者ともこういう機会でもないとじっくり自分のやっている建築の話をすることはないので、良い機会になりましたね。

いい建築とは何か?を考えた時にたどり着いた「さりげない建築」

今回のテーマになっている「さりげない建築」について聞かせてください。
建築家というと斬新なデザインや奇抜な造形が注目されがちですが、自分はそこにはあまり関心がありません。
建築が街や都市に建つものである以上、仮にそれが個人のものだとしても公共建築だと思っています。それが住まいであれ、オフィスであれ、美術館であれ、日常のなかで人の目に触れた時に嫌悪感を生じさせるものであってはいけないと思うんです。
一方、目立たないけれど、よく見ると素敵だなと感じるデザインや建物があります。古いお寺や神社、昔の遺跡などに多いのですが、大袈裟に主張することなくさりげなくそこにあって、意識してみると強く惹かれる、そんな建築にずっと興味を持ってきました。
設計事務所を始める前から「さりげない建築」のようなものに惹かれていたんですね。
そうですね。建築というのは何十年、ときには100年近く使われるものですから、使う人にストレスがあると住み続けてもらうことができません。設計する上で、使いやすさ、居心地、機能は外せないと考えています。見栄えのよさと機能性は常に両輪で考えるようにしています。
人間関係でもフィーリングが合わない人と一緒にいるとストレスを感じるように、建築と人の関係でも、建築がさりげなく人に寄り添えるかどうかはとても重要なことだと思っています。
礒さんの考える「いい建築」とは、住まう人にとって心地のよい家ということでしょうか?
そのように定義しています。建築に必要なものは何かと聞かれることがあるんですが、僕は愛だと思います。その建築に対する設計者の愛、建主の愛、施工者の愛、ご近所さんや周辺環境に対する愛、そういったものがないと、建築は長く残っていきません。
この会場も愛があったからこそ、こうして改修されてまた使われているんだと思います。
ここで働いている人や訪れる人からもこの建物への愛を感じますね。それはとても幸せな関係だと思いますし、こうした関係が増えていくと街はもっと面白いものになるはずです。
現場でもよく言っています。「そこに愛はあるのか」と。設計していると悩むんですよ。お施主さんがこう言っていた、予算が合わない、工期がないとか……。でも最終的にそこにちゃんと愛があるかどうかで判断するようにしています。もしそこに愛がなかったら、結局、誰も幸せにならないですからね。
ハウスメーカーのように規格品を組み立てるのではなく、一から設計していることもあり、誰かしらの強い意思や想い、愛がないと、いいもの、残るものはつくれないんです。建築に限らず、ものづくりにはそういう面がありますよね。

住む人がこの先もずっと気持ちよく使い続けられる計画とは?

ここから少し具体的に「さりげない建築」とはどんなものなのかを伺っていきます。
先ほど「個人のものでも公共建築」とのお話がありましたが、もし自分が建築家に依頼して家を建てるとしても、その家が街に溶け込むかどうかという発想は出てこない気がします。
街に溶けこんでいる家というのは住む人にとっても心地よさがあるものなのですか?

たとえば、屋根の形を考えてみましょうか。
日本には四季があり、梅雨があります。気候を踏まえると、屋根は切妻型が基本と言えるでしょう。切妻の屋根が並んでいるところに、ポツンとコンクリートの白い箱のような家を建ててしまうと、景観が損なわれるばかりでなく、その家だけが風雨にさらされて汚れていくことになり、結果的に住まわれる方にとってもあまり得をしない。近所の人たちも汚れた建物を見て日々生活することになって結局誰も幸せではない状況が生まれます。
よく見かける屋根の形に実は理由があるように、周辺環境を理解することはその土地に長く残されていくものをつくるための道しるべになります。現在の街の状況では色々な建物があるので、周囲に馴染む家という考え方に疑問が湧くかもしれませんが、特別なことは何もなくて、基本に立ち返って当たり前のことをするだけでいいと思うんです。
「古賀の家」はそういった意味でわかりやすい例ですね。敷地が神社の山道沿いにあり、周辺には瓦屋根の集落が多く残されています。ですから、この家もその景観に馴染むように、ちゃんと屋根をかけて軒を出して風雨から外壁を守ってあげて、建物のボリュームも周囲とある程度揃えるような形で設計しました。
理想は、新築なのに「前からあったよね」と言われる家です。そのために材料も経年変化で味が出て、周囲と馴染みやすい自然素材を積極的に使っています。
周囲に馴染む外観に続き、動線についても聞いてみたいと思います。事務所のInstagramでは、光に導かれるデザインが人気のようでした。
向かっていく方向に光があるという作り方はよくしますね。トンネルの先の明かりではないですが、人には明るい方に向かおうとする習性があります。向かう先に光があると安心しますよね。
たとえば、水まわりって暗くじめっとしたところにあって、家のなかでもあまり良いところにあるイメージがないですよね。でも、向こうに綺麗な光があると、そこに向かう時に少し気持ちが楽になりませんか。
向かう先を明るくするという仕掛けはどちらかというとメインの部屋よりも、行かなくてはならない場所に向かう階段や廊下で多用しているかもしれないですね。家事ストレスが少しでも和らげばいいなと。光あふれる水回り、と聞くだけでも気分が上がりますよね(笑)
まさにさりげない配慮で心地よくなる例ですね。作品や解説を拝見していると、間取りでは一見わからないけれど、実はいくつもの用途で使えるというスペースも印象的です。
糸島の家の“サロン”は多用途を意識して設計した例の一つです。
玄関と居室をつなぐ土間のようなスペースですが、通り道としてはもちろん、スツールを置けばお茶もできますし、窓越しに家の外にいる人と話をすることもできます。ベンチには横になってもいいし、床の間のように花を飾ってもいい。自転車など外で使うものも置けるように仕上げもフローリングではなくタイル張りにしました。
一つの場所に複数の機能をもたせると稼働率があがり、その場所が豊かになります。たとえば、ただの廊下も本棚とデスクを置けば、ライブラリーや書斎として使えますよね。単調にならないよう、設計時にはできるだけ多様な形で使えるように意識しています。

まずは周りと使う人を考えることから。出発点はいつも変わらない

住宅以外の、たとえば店舗などの設計はまた考え方が違うのでしょうか?
建物はすべてが公共建築だという考え方なので、大枠では住宅だから、公共だからという違いはないですね。
これは横浜市で若手の建築士を対象として開催されたコンペに応募した時に作った模型です。公園のトイレのプランなのですが、トイレが設置される場所のランドスケープが森のようなところだったので、トイレ自体は背景になる木々に馴染むように、極論をいえば気付かれなくてもいいと思って設計しました。全体のコンセプトとしては集いの場のような形で、テラス、デッキを設け、休憩しに行こうとした先にトイレがあるといったように、さりげなくトイレに導く形にしています。
たしかに模型を見ただけでは、この建物がトイレだとは気付きませんでした。
今回ふり返って自分自身改めて思ったのは、日本でいえば「(建物が周囲に)馴染む」というのは屋根をかけてあげることなんですよね。こうやって模型を並べてみても、四角い箱みたいな家はつくっていない。屋根がかかっているというのは大事だと思います。
屋根が下に向かっていると、建物に向き合った時に建物が頭(こうべ)を垂れているようなかたちになるためでしょうか。街に対して威圧的な佇まいにはなりにくいんですよね。建物と自分の距離が近くなるので建物に対する親近感が生まれやすい。コンペでも建物だけが目立たないように意識してモチーフになっている楕円を折ったような切妻屋根をかけて周囲に馴染ませるようにしています。
今後やっていきたい建築があれば教えてください。
そうですね、アーティスト的な人はどこの敷地にでも立つような建築物の構想があるのかもしれませんが、自分は敷地を見てイメージが膨らむタイプで、何もないところから設計してくださいと言われてもなかなか手が動きません。どんなに遠方でも必ず現地に足を運んで要望を聞き周辺状況を見た上で設計に入ります。その方が圧倒的に建築のイメージは浮かびやすい。そういう意味では合気道に近いかもしれません。条件が悪いとか建主の要望が多いとか、コストが厳しいとか要素が多く強いほどその力を利用して遠くに飛ばせる、いい設計ができる、みたいな(笑)なので、敷地条件も何もない、相手もいない状態でつくりたい建物というのは正直イメージしづらいところはありますね。
これまで通り住宅はやっていきつつ、公共建築のコンペにもチャレンジしていけたらと思っています。先ほどもお話ししたように、住宅設計も公共建築のように考えて設計しています。どのような建物を設計するときも「さりげない建築」という想いは一貫してもち続けるものになっていくと思いますね。

(取材・文=本多小百合)

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